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移住してきた理由と移住相談カフェ

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ウニ子です。
カフェをやっていてよく聞かれることが、”どこ出身?なぜここに来ようと思ったの?”というご質問です。

答えは簡潔に”田舎暮らしをしたかったから”という理由をお答えしてますが、ここでは詳しく書いてみようかと思います。

まず、私ウニ子の出身地は埼玉県にあります”朝霞市”とありますが、15歳の中3までしか住んでいません(爆)
やはり思い出もそんなに緑に囲まれた記憶はなく、高校生の16歳から住み始めた東京・三鷹市は、本当に都会でした。
しかし都会はなんでもあるけど、何もない、そんな印象を抱いてました。ものがたくさんあるのに何一つ欲しくないという青春時代(笑)服も、おしゃれも、文化も、何一つピンとこず、物欲は無い一方、東京にいる意味ってなんだろう?と考えたときに本当に何も”ない”という無感情だったんです。嫌いでもない、好きでもない。つまり興味がわかない。そんな10代の終わりから20代初めは当時その無感情の東京から逃げるように、海外へ価値を見出して、バックパッカー・海外旅行、留学へと熱中してきました。12カ国30都市ぐらい行き終えたときに感じたのは、その土地その土地でそれぞれが主人公として生きている現地の人との対として、”傍観者”の自分しか残らなかったことでした。その土地ではただの傍観者・客人・脇役。バックパッカー・海外旅行に行けば行くほど生きている感覚を持つことができなくなった現実が横たわってしまいました。自分も傍観者ではなく、主人公になりたいと思い立ち、多摩美卒業後はアメリカへ留学しようと決意。人種のるつぼアメリカで、アメリカ人に混じって自分の人生を生きてみようと思ったのです。

アメリカへは多摩美の単位を編入という形で移し、4年かかるアメリカ大学を2年で卒業するという荒技をします。今まで美術一辺倒だった自分が、美術以外のアカデミックな教育が英語で受け、卒業できたのは自信につながりました。
しかし、、アメリカと交流しても、どうしても”日本人としての自分”がぬぐえない。という感情でした。日本人である以上、どうしても”そこ”で”自分が主人公として生きている”という実感が湧かないのです。その土地の風土も、歴史も、人種も他国との関わりも、知識が浅すぎる上、その土地の言語も完璧に十分でなく、完全に日本人として見られることなく、”その土地の人”としてみられることがどんなに難しいかと痛感しました。そこの土地で溶け込むまで挑戦し続け、覚悟を持って違う国でずっと生きて行く展望が全く見られなかったんです。つまりはまた、東京のみならず期待していた海外にさえ価値を見出すことはできず、ここでもない、あそこでもない、生き場所は結局どこだ・・?と意気消沈してしまう結果になった帰国でした。
そんな生き場所をずっと探していた自分に帰国後待っていたのは、叔母の家でした。
今までほとんど叔母の家には行ったことがなかったのですが、父が叔母の近くで祖母から譲り受けた土地にログハウスを建てるという計画に手伝うことになったキッカケで、祖母の家に遊びに行くようになったのです。

祖母の家は、秩父から車で1時間ほど毛呂山にあります。埼玉医大がありつつも、自然がたっぷりとまだ残っていて、祖母の家は中心部から離れた山よりでした。誰もいない緑緑とした山々で食べるご飯の美味しさ、空気と、なにより祖母の手作りのご飯、バラガーデン、ゆったりとした空気に触れるうちに、自分の生き場所はこういうところがいいと、初めて湧き出た感情を今でも思い出すことができるほど、とてもハッ!とさせられる感情でした。こういうところだったら自分が自分でいられそう、主人公でいられそう、私が求めていたのは海外で嵐に揉まれる挑戦の日々ではなく、腰を据えた、身の丈生活だったのだ。そう思ったのです。
それから父が作るログハウスを手伝い、いつしか私もログハウスに住みたいと申し出るようになりました。祖母の土地に植えてある、戦後祖父たちによって植えられた杉をチェンソーで倒し、土地を整備し、製材機購入をし、さぁいざ!ログハウスを立てるぞというときに建築基準法に引っかかり、如何にもこうにも先に進めないことが分かったのです。

父と私はがっくしきました。せっかくのログハウスが、とも思いましたが、父と私の共通項は、大自然の中でログハウスに変わる、なにか熱中して作れる環境があればいいとのことでした。
思い立ったら吉日、すぐにネットで調べてピン!ときた土地が武甲山の麓にある広い土地。しかも周りは定住者0!
初めて見学に行ったその日に一目ぼれ。ここで音も気にせず、大自然の中で自由になんでもできる!と父も私も感じました。
なにより、ここ武甲山・横瀬は東京から近いので、平日仕事を朝霞で続けている父には週末田舎暮らしにぴったりでした。
私も東京の仕事をさっぱりやめ、心機一転、ここで新しく生きていこう、腰を据えて生きていこうとようやくホッとしたのです。
秩父に溶け込み、秩父の特産物を食べ、秩父でなにかものづくりをし、発信をしていく・・。そして秩父人になろうとすることで、留学時代に疑問だった生き場所の在り処が見つかったような気がしたのです。いわばアメリカ人にはなれなかった自分への2度目の挑戦です。
移住のポイントは完全にフィールングです。ピン!ときたかどうか。実際に足を運んで”ここだ”!と感じたのがあります。それは理屈じゃなく、すべてが揃ったときに始めてくる感覚でしょう。

私のこの”これだ!”の理由は理屈にすると、こうです。
・都心から近く、都心のメリット・恩恵を十分にもらうことができる。友達も都心に多いので、呼ぶことも可能、都心に行って遊ぶことも可能。
・山奥と言えども不便を感じることが一切ない。実際秩父にはタリーズコーヒーだって、ユニクロだって、大型スーパーだってある。定住者0の山からたった30分でそういった”便利”を利用することができる。田舎・自然・自給自足を愛しているが、不便を愛したつもりはない。便利を利用したいと思えばすぐ利用する手札はあるに越したことはない。
そういった意味で、秩父は大自然と便利が見事にマッチした僅少な土地であることは確か。
・ここの武甲山の土地で目をつけたのが、誰も商売をしていないと穴場ということ。武甲山の麓で登山者のためになるサービスが一つもなく、ここで登山者向けのサービスは需要があるのではないかと思ったこと。
移住するにも、ある程度こういった働き口の目処だったり希望だったりを持っていた方が移住の覚悟がしやすいのではないか。自分はたまたま登山者向けのカフェに希望を見出し、移住してきた。仕事に関しては一番の悩みどころだと思うが、”どこの場所でもやっていけるスキル”を養えばどこの土地でも移住できると思う。そのためにも、会社に勤め、会社のために労働力と賃金の対価を日々交換するのではなくて、いかにどの会社でも、どの土地でも自分を売れる自分への投資ができてるかが、移住を決断する目安かもしれない。
・秩父には秩父人になるべくしてなれる文化・歴史・特色が揃っていると思う。味わい深い土地。住んでみると飽きることがない面白みが乾燥スルメイカのような感じ。ジュワジュワと噛みごたえがあるイメージ。朝霞には悪いが”朝霞人”っていっても”はい?”となるが、秩父人は秩父人と呼べるほどの地域としての魅力を兼ね備えてると思う。

以上が移住に至った箇条書きですが、前置きがヒジョーーーーーーに長くなってしまいました。このブログでお伝えしたかったことは私の移住したわけの他に、移住相談カフェだったのです。

秩父に移住を考えている方にコーヒー飲みながら相談できる相談会ですね!
同じ秩父移住者としてこういった堅苦しくない場所で相談できる機会って素晴らしいと思います。
そして移住のきっかけはひとそれぞれだと思います。私のように、腰を据えて生きられる”生き場所”を求めてる方、秩父必見ですよ^^

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